オタク(元)弁護士の雑記帖

オタク弁護士だったけど弁護士を辞めてただのオタクになった人のブログ。

僕が弁護士を辞めた理由

なぜ弁護士を辞めたのか

仕事は最近まで弁護士をしていましたが、いまは普通の会社員です。

といっても、元弁護士というのもあって、法務部で法律関係の仕事をしています。

弁護士になった以上、独立して自分の事務所を構えて、自分らしく働きたいと思ってやってきたのですが、

①この世界で稼ぐことはできてもやりたいこと・正しいことはできない

②家族第一に考える人生を送りたい

という理由で、弁護士を辞めることにしました。

 

稼ぐことはできても、やりたいことはできない

「やり方次第では稼げる」と「自分の思うやり方で稼ぐ」ことのギャップ

これについては、僕自身も本当に悩みました。

実際のところ、独立するならちゃんと稼げるようにならないといけないと思って、それはもうめちゃくちゃに働きました。

もう消してしまったけど、このブログのリニューアル前に書いたエントリーで、「この業界は、緩やかな死への曲線を描いている」という記事を書きましたが、事件数が減って、弁護士が増えているこの業界で生き残るためには、がむしゃらに働くしかないと考えていました。

こういうことを書くと、「これまでがぬるま湯だったのであって、仕事のやり方次第では稼げる」、「競争がない方が異常」という意見が出てくると思いますし、僕自身もそう思っていました。

そして、どうやら僕自身はわりと商売上手な部類だったようで、30代の中ではわりととびぬけた年収を稼ぐことができていたのではないかと思います。

 

 

ただ、この業界ではやりたいことはできないと明白に感じることが多々ありました。

実際に仕事をしていて、法律的に暴論と言わざるを得ないような荒唐無稽な主張をする弁護士や、普通なら受けないような依頼を受ける弁護士が増えてきているように感じます。

また、相談者・依頼者の側も、弁護士を選べる時代になったのはいいことなのですが、「弁護士を使って自分だったらできないようなスラップをしかけてやろう」という人が増えてきたように感じます。

 

弁護士を選べる時代になったことで、弁護士に競争が生まれ、いい加減な仕事・やる気のない仕事をする弁護士は減るのかもしれません。

ただし、弁護士も人間で、生活も掛かっているので、稼がなければなりません。

一生懸命稼ぐために行った努力が、すべていい仕事へ向けばいいのですが、依頼者の言いなりになったり、パワーバランスが圧倒的に依頼者に偏ったりしている弁護士と当たることが増えました。

 

僕自身が弁護士業界に求めていたもの

「弁護士という仕事は、個人事業主でありながら、公共的な側面を持っており、その側面は失われてはいけない」と僕は常々思っています。

弁護士には、医師における往診義務のような、受忍義務はありません。

「これは法律的には立たない主張だ」とか、「嫌がらせやスラップのような請求はできない」と思ったら、依頼を断ることができる制度上の立てつけになっています。

弁護士の場合は、依頼者の相手方もまた人間です。

人間を相手にする以上、こちらの正義とあちらの正義が違うのは当たり前です。

その落としどころを見つけるのが裁判であり、法曹の仕事なのだと思います。

そうすると、弁護士の仕事の社会的な役割は、依頼者の権利を実現することと、スラップのようなやりすぎを抑止するストッパーの両方でなければならないと思うのです。

そういう役割持った弁護士同士の、いわば「理性の戦い」が弁護士業界での仕事であったように思うのです。

 

もちろん、自分はその仕事のスタンスを変えないで、食っていくという方法もあるのかもしれませんが、今の僕には稼ぐことと、その仕事に対するイズムを両立することはできないと感じました。

そして、僕にとっては自分の生活や将来、そして家族の生活が一番大切なので、今のスキルと資格を活かして別のフィールドに行くことにしました。

 

家族を第一に考える生き方

弁護士という仕事のスケジュール感

家族を第一に考えていきたいと思ったとき、弁護士の仕事は「親の死に目に会いにくい」仕事なのだと思っています。

弁護士は個人事業主なので、むしろ自由がきくのだと僕はこれまで思っていたし、過去には実際そのような時代もあったのではないかと思います。

実際に、家族第一に生きたいというは話を同業者にした時も、「大変な時は受任件数を調整したり他の弁護士と共同受任したりして調整すれば、やっていけるのではないか」という話をされたことがありました。

しかし、一定水準以上の生活水準を維持して生活しようとしたときに、この競争時代において、「受注を一時でも大幅に減らす」「足並みを止める」ということは、僕にとっては恐ろしすぎる選択でした。

 

そして、弁護士の仕事は、言うまでもなく忙しいです。

弁護士の仕事は、つまるところ専門的な労働集約産業です。

たくさん稼ぐためにはたくさん時間を消費しないといけません。

さらに、時代は競争が進んでいます。

競争が進むとどうなるか。

一番最初に影響が出るのは、受注単価です。

受注単価が下がると、労働集約産業の労働時間はさらに増えます。

結果的に、同じ収入を維持するための労働時間は増えます。

(もちろん、ここで「品質・特殊技能で勝負すれば、単価を下げなくてもいい」という話が出てきますが、それはニッチャーとして成功した人の話で、大多数は価格競争に巻き込まれることになるので、今回は捨象します。)

 

最終的に、できるなら親の死に目に会える仕事がしたいという僕の希望はかなえられないのではないかと思うに至りました。

「家族第一」を考えると、一番安全なのは会社員ではないか

では、どの仕事が一番希望に近いのか。

実は会社員なのではないかと思っています。

 

大きな会社には有給休暇や介護休暇などの制度が整っていますし、会社の中で代わりのきかない存在になれば、会社都合で首を切られるということもないでしょう。

収入ははっきり言って下がります。

しかし、この減少分を、「家族第一」を達成するための支払う保険料だと僕は考えています。

 

人生の後半は、「得ること」ではなく「捨てること」の選択

人生の体感時間は、0歳~20歳と20歳~80歳が同じだという考え方があります。

これを参考に、20歳を人生の中間地点とみて、前半と後半に分けます。

そうしたときに、人生の前半は、「この人生で何を得るか」を選択することの連続だったと思います。

高校の進路選択でどんな道を歩みたいのか、就職活動で何を得られる会社を受けるのか、結婚相手に何を求めるのか・・・などなど、人生の前半(プラス25歳くらいまで?)は、「何を得るか」の選択が続きます。

 

他方、人生の後半では、「この人生で何を捨てるか」、もっというと、「この人生で何を残すか」の選択の連続が訪れているように思います。

僕は、20代を自分の仕事とスキル向上だけに費やしました。

その成果もあり、(謙遜抜きに)ただの凡人だった僕が、様々なスキルを身につけ、人材市場から評価してもらえるようになりました。

 

逆に、20代に他の人がしていた結婚などのライフイベントはおろか、異性と付き合ったり、友達と遊びに行ったり、自分の趣味を見つけたり、といった、余暇の部分は全くと言っていいほど経験できませんでした。

ここについては、「選択と集中」をやりすぎたのではないかという後悔はあります。

おかげで、非常にコンプレックスの強い30代男性が出来上がってしまいました。

 

25歳までに、「自分の大切なもの」を決めようという提案

自分の後悔を振り返ったうえで言うと、自分の人生で何が大事なのかを人生の前半までに決めておかないと、あとで他人から評価されるものを得ても後悔することになるのではないかと思います。

手っ取り早いのは、「好きなもの」をつきつめることでしょうか。

自分が何をしているときが一番幸せなのか、25歳くらいの時には僕もあったと思います。

それを人生の軸に据えて、自分らしく生きることが、自分の人生の幸福度を上げるために必要なのだと思います。

僕自身は、30代でそれをやったので、生みの苦しみを味わいました。